ブログを始めて半年、ターゲットを絞って発信してるわけではないので、気の赴くままに赤裸々に何かを書くのもいいのかと思いまして・・・
基本ポジティブ&楽観的な私ですが、気分には波があるもので、私事ではありますが現在消沈しております。この状態では寝られないので一度頭の整理もかねて・・・
と言いますのも、ダイビングをする際には必ずログを付けており、200本以上の記録と思い出が詰まっている大切なものです。
これを見れば私が大学でダイビングを始め培ってきたことのほとんどすべてが分かります。
ログを見て、ポイント、日にち、バディさえ見ればだいたいのファンで何があったか、何を見たかということを思い出すことが出来ます。
そのぐらい本気で取り組んでいましたし、毎回のファンで目的意識をもって楽しんでいました。
さて、そのログノートが5冊目に入ろうかとしているのですが、一度潜ったポイント、開拓ポイント等を書き出してみようと思い、過去のログノートを引っ張り出し、まとめていたのです。
一冊目の最初のページは初めてダイビングに行った時の初々しい気持ちが書かれており、読み返すのも恥ずかしいぐらいです。
中盤になってくると、慣れからか絵も感想も発見も雑になっていきますが、たまーにくる真剣な内容からは貪欲な好奇心や探求心、そして私の行動の証が見てとれます。
他人に感謝や見返りを求めるためにしている活動(仕事)は、私は危険だと思います。
なぜなら、自分の人生は自分でしか生きられないのに、生きる目的・喜びを他人に求めるのは、他人に生かされているのと同じであり、仮に他人に与えられたものが理想に適わなかった場合にはどうしようもなくなるからです。
昨年「嫌われる勇気」「愛される勇気」を読みました。
その中で、私は自分の人生を生きていないな、と感じました。
もちろん、感謝・見返りを求めていたという点で。
そして、自分の人生を生きようと考え始めてから、半年ほどたちますが、徐々に思考が行動に馴染むようになっていました。(もともと私の行動は自分の人生を生きるという点では自由に生きていましたから。)
その矢先、ログの整理をする中で、私は何をしていたのかと、思い出したくのない感情が顔を出しました。
私の努力の結晶がまさか私自身に牙を向くとは・・・本当にわからないものです・・・
私の中では、努力の方向が間違っていた(だから今正しい方向に直している。)ということで、頭の中ではけりがついていましたが、努力を具現化したそのものであるログノートが今は正直怖いです。
タイミングを見計らって消化していきたいです。
しかし勘違いしてほしくないのは、
私は、過去の選択は自信をもって良い選択をしたと思っています。
ただ、久しぶりに、一時的に感情が負の方向へ向かってしまっています。
今からこの気持ちをどう解釈していくこうか。
・・・
ログノートの扱い方(との接し方)1つで何かが変わっるような気がしてきました。
しかしそれには長い自問自答とリセットが必要なのかなと、今、感じています。
不思議と気持ちが楽になってきました。
アドラーは、過去と今は全く関係なく、今その気になればすべてを変えられる、と言います。
今はそれを信じてみることにしますかね。
ではでは